我が家のおねこ様方
ねこ派だいぬ派だというのは、果たしていつ自覚するものなんだろう。
僕の場合、少なくとも小学校2年生ごろには既に「僕はねこが好きである」と認識していたような記憶がある。家には三毛の女の子がいたし、そのへんをうろついてるねこを追いかけては撫でくりまわしていた。
たまたまねこと親しめる環境だったからだろうと思われるかもしれないが、身近にはむしろいぬと暮らしている家庭が多かった。僕の家にも一時期いぬがいたし、祖父母の家にも大きな黒いいぬがいた。それらのいぬたちも、彼らは彼らで彼らなりの魅力を備えていたし、僕も親しく付き合っていたのだが、不思議なことに「僕はいぬが好きである」と認識するには至らなかった。
既にねこ好きの自覚を持っていたために、認識が上書きされなかったのかもしれない。あるいはなにかまた異なる理由があるのかもしれない。まあ、それはどちらでも構わないのだけれど。
ともかく、僕はねこが好きなのである。
長じて大学に入学し、ひとり暮らしを始めることになると、自然とねこと暮らす余裕などなくなってしまう。残念ながら僕の家庭は毎月生活に余裕を持てるだけの仕送りができるような経済状況ではなかったし。奨学金とアルバイトによって、ギリギリ生活を立ち行かせるだけの資金を得られる4年間だった。
自分自身を食わせるのに精いっぱいな人間は、ねこに限らず、ペットを飼うことができるだろうか?
できるわけがない。
よっぽどそのへんに転がってるねこを囲って一緒に暮らしてしまおうかとも思ったが、これ以上食い詰めることもできないし、仮に食い詰めて僕が倒れたらねこも共倒れだと思ってやめた。人生最大の自制心を発揮した瞬間だった。
ようやく本題なのだが、社会人になり、ある程度自由にできる経済力をつけた今、ようやく念願かなってねこと暮らす生活を手に入れている。
しかも3に(ゃ)ん。
幸福が具現化している。
紹介したい。
いすが毛だらけなのはもう目をつぶってほしい。
ねこと暮らすにあたって、家じゅうの物に毛が付くのは諦めるほかない。
御三方とも女の子である。
産まれたばかりの頃、知り合いの農家さんの畑で収穫されたねこ。右目を怪我しており、毛様体と角膜が一部癒着している。獣医さんいわく普通に目は見えているらしい。
長毛でフワッフワだったので、「ふわ」と名付けられる。わかりやすいことはよいことだ。ちなみにその農家さんには当時ねこが6名いたのだが、全員身体的特徴にもとづいて命名されていた。伝統。
手のひらサイズの時に我が家に来たのだが、離乳していたので助かった。僕は勤めに出ていて日中自宅はからっぽだったので。ケージの中が彼女の昼間の世界のすべてだった。
家に来た当初からまったく物怖じせず、自由奔放に振る舞っていた。今では立派な甘えん坊に成長。自分のことを人間だと思っている筆頭。
保護猫活動家の方から譲り受けた。福島の避難地域で保護された子。うちに来た時はまだ小っちゃかったが、社会化期はほぼ終えており、野良が抜けるのに時間がかかった。
みかちゃん(後述)の双子の姉。真っ白な体毛の一部だけ黒いため、「十六夜」にたとえて命名。
超絶ビビりで、いまだに僕が近づくとダッシュで隠れてしまう。でもなぜか僕が横になっていると気が大きくなり、腹に乗ったり腕枕をせがんだりする。寂しがりやな性格で、他の子を構っていると寄ってきて「かまえ」と言わんばかりに割り込んでくることも。
不満なときも甘えたいときも、なんであれとにかく鳴く。にゃんにゃん言う。一番声を聴く頻度が高い。
いざと時を同じくして、同じ保護猫活動家の方から譲り受けた子。本当はみかだけをお迎えするつもりだったのだけれど、「姉妹で、仲が良くてね」というお話を聞いてしまったが最後、ふたりの仲を引き裂くことなどできるわけがなかった。
いざと同様に野良が抜けるのに時間がかかったが、いまではすっかりごろにゃんになり、抱き上げられても逃げなくなった。胸に深い(物理的な)傷を負わされ続けた日々が遠い昔のよう。
彼女の名前は、「三日月」からとった。ちょうどいざと反対に真っ黒な体毛の一部だけ白いので、新月のあとわずかに光を放つ三日月みたいだな、と思ったからだ。我ながらあまりに風雅っぽい由来なので、他人に説明するとき妙に口はぼったい気分になる。というか恥ずかしい。
みかは若干しゃがれ声で喋る。甘えたいときは声を出さずに鳴く。マイディア。
こんな3名のねこが暮らす家に、僕は間借りするように暮らしている。